よく数学を教えて欲しいという友達が言うことがあります。
簡単なものほど難しい。
例えば
1+1=2
の証明。
どこが難しい?
そんなこと小学生でもわかるでしょ!
その友達がいいたいのは、おそらく「簡単すぎるとわからない」ということです。
その友達に簡単な問題の答えを教えても、なかなか理解してもらえないことがあり、
そこでこの一言です。
「簡単なものほど難しい。」
つまり、その友達にとって「1+1=2」は超簡単な命題の例の一つです。
「むずかしい!」
友達が使うもの発言の意味もイロイロと時と場合によって違ってくるのですが、
根本的には、「なにを示したらいいのかわからない」ということを根拠にしているようです。
友達は、「1+1という問題の答えは2だと思うが、本当に2なのかを示すのに、どうしたらよいのかわからない。」を例にだして、簡単な問題でも丁寧に説明して教えて欲しいということがいいわいようです。
ですから、こんな質問をぶつけてくる輩がいた場合、
「1とはなにか?」
「2とはなにか?」
「足すとはなにか?」
「イコールとはなにか?」まず、これらを明らかにしてくれないと証明できないよ、
と逆に質問をなびかせる事が、ある程度数学的な知識をもった人の定番といえる回答といえます。
ある意味では意地悪いとも受け取れます。
そして、
「2というのは、1+1の定義である」という結論で終息に向かう場合もあります。
そもそも、「1+1=2を証明せよ」と言ってくる人は、証明ということがどのような事なのかも曖昧である場合が多いです。
中には、「証明とは、なにか小難しい数式を並べて結論つけること」だと考えている節もあります。
このようなレベルの人に、「1+1=2の証明」について、どんなに説明したところで、本質は理解してもらえません。
そもそも、彼らは理解しようなどと思ってないかもしれません。
単に、「簡単なことをもっと簡単に説明して欲しい」、
その主張を通すために、例として「1+1」がでてくるだけかもしれません。
1+1の証明
しかし、なかには、真面目に「1+1=2の証明」について考えている人もいるはずです。
「数とはなにか?」
この事を本当に深く考えていくと、「1+1=2なのか?」は、おのずと自然に湧き上がる疑問でもあります。
少なくとも、
「1とはなにか?」
「2とはなにか?」
「足すとはなにか?」
「イコールとはなにか?」
について、どこまで深く掘り下げて考えることができるのか?
という疑問の現れでもあります。
「1+1」の答えを「2」と定義する。
これも一つの考え方ですが、これは証明ではありません。
定義です。
それに、「+(足す)」や「=(イコール)」についての言及(定義)もありませんからまだまだ結論の証明には至っていまん。
一歩踏み込んではいますが。
1+1=2の証明が難しい理由1
単純に1、2,+、=の定義が難しいという点をあげることができます。
そのために、数(数式)が表す記号を定義する方法を編み出さなければなりません。
1とか2などは、数学では原始的な記号です。
小学生でもわかる概念と書きましたが、それは例によって、生活の中の経験で理解されたもので、きちんと定義をいえるかというと、小学生には無理でしょう。
「定義」という用語自体も使いこなせていないのが普通ではないでしょうか。
かといって、小学生でもでたらめに数を理解しているわけではなく、数の概念はしっかりと身に着けていると思います。うまく表現できないだけで、モノを数えるときに、1、2,3,・・・と使いこなしますし、足すというのも、「1個のみかんと1個のみかんをあわせると2個のみかんになる。」といったように、例をつくりだせると思います。
そして、この概念はどこへいっても通じるのですから、簡単なのです。
証明する必要がない(と思っている)誰もが認める命題を証明せよとはどういうことか?
その命題の真偽を示すためになにを前提に示せばよいのか?
この辺りでつまずくから難しいと言えます。
1+1=2の証明が難しい理由2
おおかた、数学を突き詰めていくと、数学基礎論という分野にいくつくと思います。
特にそのなかでも、集合論は特異な事もあり難解です。
簡単な疑問を複雑にしているような、そんな命題の温床が集合論にはあります。
そこがまた魅力的な部分でもあるのですが、数についても、集合論や論理学の記述方法などできっちりと定義するにはどうしたらよいのか?
それは、数とはなにか?論理とはなにか?証明とはなにか?から始まっていくわけで、その世界での数の定義、論理展開のやり方について理解するだけでも、相当な知識を要求されます。
それを理解した上で、奇妙な定義式であらわされた1や2、足す、イコールの意味を理解し、論理展開して命題を証明するわけですから、「1+1=2」が本当に証明されているのかどうかを確認することが、これまた難解なパートとなります。
いうなれば、集合論や論理学の練習問題として「1+1=2の証明」という問題が考えられ、さらにその模範解答まで考えなければならないわけですから、これは難問といってよいのではないでしょうか。
自然数の定義ぐらいは、なんとかついていけても、その後の証明する内容を理解するに至っては、気が遠くなるほどです。
つまり、「1+1=2の証明」には、数学基礎論の知識が必要で、この基礎論が難解なため、1+1=2の証明は難しい命題と考えることができます。
もっと砕いて言うと、「1+1=2の証明」が難しいのは、
- 「証明するとはどういうことか」を理解する事(させる事)が難しい。
- 証明するのに必要な前提が原始的すぎるとその取扱が面倒で難しくなる。
と2段階にわけられます。
「1+1=2の証明が難しい」と思わせる手法
1+1=2を当然のことと考えている、感覚的な人に対しては、「1+1=2」の意味を原始的な公理に基づいて定義し、論理記号によってそれを証明した記述をみせるのが効果的と言えます。
記号の意味に不慣れな人であれば、その証明とやらがどういった事を意味しているのか、恐らくちんぷんかんぷんの呪文のようで、難しいと感じるのには時間を要しません。
この手法で難しさを提示するのが、かなり効果的といえます。
ある本によると、1+1=2の証明を書いてみたら何百ページも費やしたという話がありますが、それは大げさではなく、そうなる可能性は十分にあります。
それだけのページ数を割いて証明される命題なわけですから、「1+1=2」の証明はかなり難しいと言えます。
そもそも1+1=2は証明できるのか?
念の為に書いておきますが、「1+1=2」が常に真の命題となる保証はありません。
「1+1=2」は当たり前ではないのです。
定義次第ではそれが偽の命題となりうる可能性も十分にあります。
ただおおよそ、そのような「1+1=2が偽」となる数の体系は単純すぎたり、破綻してたりしいて、つまらない例にしかないかもしれません。
しかし、たとえば、「1+1=0である」よって、「1+1=2ではない」といった切り口からこの命題にアプローチしていく方法もあります。
ひょっとしたら、「1+1=2」が偽となる数の体系を作ることで新しい数学が生まれるかもしれません。
このような考察によって数についてのより深い秘義が発見されるかもしれません。
奥深いですね。1+1=2は。