有限集合を難しくしているのは、無限集合があるから!

これがここでの結論です。

有限集合は難しくありません。

きわめて素朴です。抽象的ではありますが、小学生でも理解できる概念です。

 

 

無限集合が難しいのです。

 

ですが、有限集合を考えると同時に無限集合についても考えざるを得ない状況があるので、

それを引きずって「有限集合までもが難しい」となっているのです。

 

有限集合の例はこちらを参照してください。

 

 

集合論って難しい

 

集合論って、実は素朴であるのに、「集合論は難しい!」なんてこと、よく言われます。

たしかに、集合論は難しいです。

 

そもそも、集合ってなに?

ってところから難しい香りが漂ってきます。

 

最初は、簡単って思っていたはずが、

いつのまにか難しいものに変わっていく、これが集合論です。

調べれば調べるほど、わからなくなる、それが集合論です。

 

 

どうして、そんなことになってしまったのか?

 

無限集合があるからなのですが、

 

その理由をこれから噛み砕いて書いていきます。

 

 

有限集合と無限集合の定義について

 

「集合は、有限集合と無限集合に分類されます。」

ツッコミどころが満載のこの一文ですが、

まあ、お付き合いください。

 

有限集合は元の数が有限

無限集合は元の数が無限(有限でない)」

 

というのが有限集合と無限集合の定義です。

ここでは無限と書きましたが、

ここでいう無限というのは「有限でない」という意味です。

 

つまり、有限集合でない集合が無限集合です。

 

 

私は、これまで有限集合も無限集合も、元の数が違うだけで、似たようなものだと考えていました。

ところが、この考え方が全くの失態で魔の先入観を生む根源となっていました。

 

はっきりいって、有限集合と無限集合は別物です。

両者とも同じ集合と名がついていますが、

似ていて非なるものなのです。

 

なにせ、有限集合でない残りの集合はすべて無限集合に分類されるわけですから、

無限集合の中にはへんてこな集合もたくさん含まれています。

 

 

「集合は、有限集合と無限集合に分類されます。」

これがツッコミどころ満載と書いたのは、

そもそも、集合ってなに?ってところがよくわからないまま、

その集合を有限集合と無限集合に分類しているからです。

この時点ですでに、有限集合をえたいのしれない集合の一部として考えているわけですがら、

集合というよくわかない概念を引きずってしまいます。

 

集合とは、「なんからの、モノの集まり」このような定義から学習をスタートするのが定番です。

 

そして、集合の元の数という概念を考え、有限集合と無限集合に分類します。

 

よくわからない「集合というモノ」をわかったつもりにし、

その集合とやらに「元の個数というモノ」を無理やり定義し、

個数が数えられるかそうでないかで分類します。

 

数えられないモノに対してまで、個数を定義するというのも変ですよね。

そんなツッコミを避けるために、個数の定義には、回りくどいいろいろな言葉の言い回しがされることでしょう。

結果的にややこしい表現ができあがってきます。

 

 

集合について考えるとき、

まずは、この考え方を改めなければなりません。

 

この考え方というのを、もう一度整理して書き直すと、

(1)集合というものを考える

(2)集合の元(要素)の個数というものを考える

(3)元の個数によって、有限集合と無限集合に分類する。

この順番で考えたやり方の事です。

 

すでに(1)の段階でクエスチョンであるわけですから、どこまでいっても難しいままとなってしまいます。

すなわち(3)の段階で有限集合を取り扱いますが、難しい事(無限)を含めた中での考察になってしまっているので難しくなるのです。

 

さて、考え方の改め方ですが、

どういうふうに考え方を改めるのかというと、

(1)有限集合を考える。

(2)有限集合を基盤にして無限集合を考える。

この順番で考えます。

これが自然な流れです。

公理的集合論にハマっている場合ではありません。

どつぼで、抜け出すことができなくなります。

 

改めると書きましたが、集合論の知識が身についている人は、

こっそりと頭の中ではこの順番で考えて論理展開しているはずです。

 

知ってる人はだれもがやっている考え方ですが、

それを見抜けずに教科書を読み進むと、公理にはまって、

難しく感じてしまうのです。

 

公理云々というのは、論理学の塊を取り扱うので、それはそれは難しいはずです。

 

 

補足になりますが、集合論が難しいといわれる理由の一つは、論理学に関係します。

集合論は数学の基礎と呼ばれる部分に体系づけされています。

ですから、集合論を学ぼうとすると、いろいろな論理記号にでくわします。

この論理記号の取り扱いがはなはだ難しかったりするので、

集合論をも難しいものにしてしまいます。

これは論理の難しさですから、集合の難しさとは質が異なります。

 

しかし、この論理学的な難しさを除いたとして、もう一つ集合論には難しい部分があります。

それは、集合論で無限集合を取り扱う事です。

 

論理的な展開の難しさを除くと、集合論の本質的な難しさは「無限集合を取り扱うから」と言えます。

この無限集合が、なんともまあ、曲者で、いろいろなパラドックスもこの無限集合から来ます。

 

無限はパラドックスの温床です。

無限があるところにパラドックスありです。

 

 

部分と拡大の考え方

部分的、拡大的な考えを簡単に説明すると、

全体を考えて、その中を考えるのが部分的な考え方、

今ある考えをさらに膨らましていく考え方が拡大的な考え方

といえます。

 

数学らしく例で説明しますと、

自然数の考え方を膨らませて、整数、分数(有理数)、実数、複素数と数の概念を広げてきました。

これが拡大的な考え方です。

そして、自然数や整数を考えるときには、なにげなく、有理数や実数の中で考えます。

これが部分的な考え方です。

 

人間には「推論」という合理的な思考能力があって、部分的な考察しかできないのにもかかわらず、

その推論によって、新しい概念を認識することができるのです。

素晴らしいことです。

 

推論の基本的構造は、こうです。

Aに対するBがある。それと対比させると、Cに対するDというものがあるはず。

このCからDの存在を推論し、Dを含む概念を生み出してしまう構造の事です。

 

引き算の例えで補足すると、

5-3に対して、2という数が割り当てられる。

それなら、3-5に対する数がなにかないだろうか?

こういった感じで整数の概念を考え出してしまう力です

 

学校で、自然数は分数に含まれると習ったと思いますが、実は数学者はそう考えていません。

自然数と分数は別ものと考えています。

 

単に、自然数を分数の中に埋め込むことができるため、

分数の中に埋め込んだ自然数を自然数と同一視して同じとみなしているだけです。

 

分数の定義を調べればこの事はすぐに確認できます。

 

数学者の考えている分数は分子と分母の2つの数の組合せです。

そこに構造をいれこんで、いわゆる分数を作り、さらに自然数を埋め込んでいるのです。

 

 

順番としては、自然数から拡大的に分数を考えてるように思えますが、

分数の概念がよくわかってしまった後は、

逆に自然数を分数の一部として部分的に考えてしまうのです。

それによって、より自然数の事がわかるようになります。

 

物事を考える時には、部分的に考えます。

つまり、常になんらかの全体があって、その中で考えています。

 

拡大的に考えるというのは、

「今ある思考の全体」より「さらに広い全体」を推論する事にほかなりません。

 

宇宙の外側を考えるためには、その宇宙を含んだ超宇宙を考える必要があり、

その超宇宙を推論して考察することによって、

宇宙の外側を考えることができるようになるのです。

 

もう一度、自然数を整数に膨らませた方法を思い出してください。

 

自然数をこね繰り返しているうちに、足し算といった考え方が生まれてきます。

そして、その逆の引き算も考えつきます。

自然数で引き算ができませんが、それができるようにするため、

整数といった概念が生まれました。

自然数に符号といった概念を追加することで整数という数を作り出したのです。

整数といった存在を推論し、その存在を、自然数と符号という組合せ概念から

実在の存在として整数を認識したのです。

 

実は、膨らませるといっても、その膨らませ方は何通りもあります。

逆を考えたり、別のものを追加して新しいものを作るというのは膨らませ方の一つの方法です。

膨らませるのに、推論が使われます。

 

人間は有限といわれます。

拡大的に考えたと言っても、

それが完成するためには、より広いなんらかの全体を考えて

その中で部分的に考える事ができるようになってからです。

 

全体がないと考えることができないので、人間は有限といわれます。

 

そこで、話を集合に戻します。

集合というのは、なにか物事を考えるときの土台です。

つまり、全体になります。

 

なにか全体を考えないと物事を考えることができないわけですから、

いつでもどこでも使える全体というものがあると便利です。

それを突き詰めて集合という概念に考え方を膨らませました。

 

しかし、集合そのモノを考えるために、

集合よりもさらに広い全体が必要です。

ここで行き詰まります。

 

仕方ないので集合を使って集合を考えるなどしていくうちに、

いちのまにやら自己循環の無限螺旋に落ち込み、

それが進むと、それによって発狂する事態をもが引き起こされます。

 

 

有限集合と無限集合の分離

集合論を簡単にする方法は、有限集合と無限集合を分離することです。

今でも分離はされていますが、集まっていればなんでもありといった漠然とした全体の中から、

天下り的に考えるのではなく、

わかっている(つもりの)集合、つまり有限集合から、

概念を膨らませて無限集合を取り扱う流れのほうが、わかりやすいと言うことです。

 

数の体型づくりと同じようにです。

 

数の例でいうと、自然数、整数、・・・と数の範囲を膨らませてきたように、

集合も、有限集合、ちょっと無限の概念を入れた無限集合、さらに無限が入った無限集合

のようにすこしずつ概念を膨らませて考えたほうが体系化もすっきるするというわけです。

 

「ちょっと無限の概念を入れた無限集合」とは、具体的には「自然数全体」の集合の事です。

名前がないため、仮に「ちょっと無限の概念を入れた無限集合」と名付けました。

 

数の体型を整理したように、集合の体型も整理できます。

 

数をモデルにして集合も体系化すべきです。

数の概念をどのように膨らませてきたのかを考えれば、

有限集合の膨らませ方も自然と推論できます。

 

数と言っても、複素数で終わっているわけではありません、

四元数、八元数、ベクトル、行列、数列、関数、超実数、さまざまな群、環、・・・

広い意味ではいろいろな数があります。

これらすべてを含んだ巨大的万能数の集合を考えることも一つの試みですが、

あまりにも漠然としていて、イメージしかわかず、

そしてなんといっても、実用性が感じられません。

 

集合も同じです。

最初から、ありとあらゆるモノの集まりを考えるという

漠然とした考え方からスタートにせず、

有限集合からすこしづつ概念を膨らませた集合モデルのほうが体系化されわかりやすいだろうということです。

 

 

集合論にもメタ構造を取り入れたり、

圏論といった考え方で、

階層やカテゴリー化した考え方で整理されていますが、

 

これとは逆に、素朴な有限集合、自然数全体の集合などからスタートして

集合の概念を膨らませていく体型づくりも重要と考えているわけです。

 

そして、この方法はわかりやすいというメリットがあります。

わかりやすい、ただこれだけのためでもあります。

不思議な現象は取り込みません。

 

 

有限集合と無限集合の違い

有限数と無限数(有限でない数)が甚だ違うように、

有限集合と無限集合も甚だ違いがあります。

 

有限数にはなんからの大きさ(例えば絶対値とかノルム)といった概念を付随させることができますが、無限数にはそれができません。

 

むしろ、大きさが定義できる数が有限数、そうでないものが無限数と言ってもよいくらいです。

 

無限数の代表例は無限大です。

 

無限大は数のようで、数でないのですが、名前があると便利なので、無限大(という数)とよく呼ばれます。

 

記号では∞の文字がよく使われます。

 

以下のような数式をよく見かけると思います。

∞+∞=∞

∞をあたかも数のように扱って、大きさを調べたり、演算をしたかような表記をしていますが、

この∞が有限数と同じ振る舞いをしていないことはすぐにわかるはずです。

∞+∞=∞

はいわゆる数式ではありません。

ある現象(性質)を表した便宜的な記法です。

もしこれが数式としてみなすのなら、両辺から∞を引いて

∞=0といった数式が容認されてしまいます。

 

 

無限大が普通の数と違った振る舞いをするように、

無限集合でも有限集合とな違った振る舞いがあり、

それが実に不思議な現象として現れたりします。

ですから、むやみやたらと無限集合を考えるのには反対しているわけです。

 

有限集合と無限集合で違う性質の例(その1)

有限集合の場合は、

AがBの真の部分集合である場合、

Aの元(要素)の数はBの元(要素)の数よる小さいのですが、

無限集合ではそうなりません。

真の包含関係がありながら、同じ無限大の個数としてみなされることがあります。

 

これを記号を使って書き直してみると、

有限集合の場合は、

A⊂B、A≠B → |A|<|B|

が成立します。

※|S|とは、集合Sの元(要素)の個数を表す記号です。

 

 

しかし、無限集合の場合、元(要素)の個数がないわけですから、

この命題自体、無限集合に対しては無意味です。

便宜上、無限集合Sに対して、Sの大きさを∞で表すこともあり、

|無限集合|=∞

と書きますが、

|自然数|=∞=|整数|

のように、自然数は整数に真に含まれていながら、

自然数の個数が整数とは同じという怪奇現象が起こります。

 

 

有限集合と無限集合で違う性質の例(その2)

有限集合は列挙することができます

紙面の都合など物理的な制約を除けば。

ですから、有限集合は、例えば

{3,5,7}

{赤、黒、黄}

{テレビ、冷蔵庫、洗濯機}

のようにリスト化できます。

有限集合は、コンピュータで取り扱うことが容易です。

 

無限集合の場合、列挙することができません

ですから、無限集合を表記するためには、

{2,4,6,…}

のように、規則がわかるような例をだして元の性質を想像させるか、

{x|xは偶数}

のように、その元(要素)の性質を文章または数式で書いて表します。

 

ですから、無限集合はコンピュータで取り扱いにくいです。

性質というものは、形式化することが難しいからです。

 

コンピュータだけでなく、人間でも無限集合は取り扱いが難しいです。

{x|xは偶数}

と書きましたが、実はこれは全体として暗に自然数の中で考えています。

自然数を考えることができるから

{x|xは偶数}

を認識することができるのです。

 

全体がわかるように明示的に、

{x∈自然数|xは偶数}

といった書き方をすることもあるぐらいです。

 

性質というのは、その性質が認識できる全体が必要です。

全体が想定されるから、

{x∈自然数|xは偶数}

といった無限集合が認識できるのです。

 

「すべての集合を含む集合」などというのは、全体がどんな集合なのかよくわかりません。

ですから、集合としてどんなものか、さっぱり認識できません。

そこをついて、パラドックスを生みだせます。

 

有限集合の正体はリスト

ここでいうリストは、コンピュータ学でいうリストとは少し意味合いが違うので注意してください。

Python言語にリストといったデータ構造がありますが、ここでいうリストはそれとは違います。

Python言語でいうところのセットといったデータ構造に、該当します。

 

つまり、リストといってるのは、

コンピュータの用語の事ではなく、

日常会話で使うリストと同じ意味合いで使っています。

日常会話でリストは、「一覧」ということもあります。

つまり列挙するという意味です。

箇条書きで書けるという意味です。

有限集合は、すべてを一覧で表すことができる、列挙することができるという特性があります。

コンピュータ言語の話を持ち出しましたが、

これはコンピュータ学のデータ構造の考えからよりリストの事がわかるようになるからです。

配列、リスト、セット、タプル、ツリー、列挙、いろいろなデータ構造があり、

それぞれの特徴がありますが、本来集合もそのようなデータ構造を表すものの一つとして表されます。

 

有限集合の一つの発展形式の例として、コンピュータ学のデータ構造があるといえます。

コンピュータは、もちろん有限の制約の中で動きますから、あたかも無限の事を扱っているようにみえても、内部では有限の処理で完結しています。

人間の思考も同じです。

無限の事を考えているようでも、それは有限のものに置き換えて思考しているだけです。

 

 

 

(1)有限集合の元(要素)に順序は関係ない

これは、列挙する順序は関係ないという意味です。

下記の2つの集合は同じと考えます。

{りんご、みかん、ぶどう}

{みかん、りんご、ぶどう}

 

 

 

 

(2)有限集合の元(要素)に重複はゆるされない

同じものが2つ入ることがないという意味です。

下記の2つの集合は同じと考えます。

{りんご、みかん、ぶどう}

{りんご、みかん、りんご、ぶどう}

注意:便宜的に「りんご」が複数ある集合の例を書きましたが、誤解をまねくのでこのような書き方は許容されません。

{りんご1、みかん、りんご2、ぶどう}

のような書き方は許容されます。

ここで、りんご1とりんご2は別ですから、4つの元(要素)をもった集合となります。

 

 

 

 

 

(3)有限集合には、和集合、共通部分など演算が定義できる

2つの有限集合があるとき、そこからあらたな集合を作ることができます。

和集合(合併)の例

{りんご、みかん、ぶどう}と

{りんご、なし}の和集合は、

{りんご、みかん、ぶどう、なし}となります。

 

共通部分(共通集合・交叉集合・積集合)の例

{りんご、みかん、ぶどう}と

{りんご、なし}の共通部分は、

{りんご}となります。

 

これは、集合に2項演算が定義されたとみなすことができます。

数の演算と似ていることが多いので、

共通部分の事を積集合と呼ぶこともよくあります。

 

和集合が足し算に関係するのは、なんとなくわかると思いますが、

共通部分が積つまり掛け算になんで関係するのか?

ちょっと違和感があるかもしれません。

 

これは演算について、研究していくとわりと自然な用語であることがわかってきます。

普通、2つの数を掛け算すると数は大きくなるのに、

2つの集合の積集合は共通部分ですから小さくなります。

たしかに、めちゃくちゃ違和感ありますね。

ですが、積集合は一般的に小さくなります。

 

話は脱線しますが、

整数論で、イデアルという集合があります。

イデアルという集合の積は共通部分とよく似ています。

 

さらに話は脱線しますが、直積という概念の集合もあります。

直積も、ふたつの集合から新しい集合を作り出す演算といえる操作です。

個数も掛け算のように大きな数が対応します。

個数的に違和感がないのは、直積の方かもしれません。

しかし名前は似ていても、

直積と、積集合は全く異なる集合となりますから注意してください。

直積の場合は、考えている集合の全体も変わってきますので、

演算として馴染んでいるのは積集合の方です。

 

(4)有限集合には大きさがある

これが有限集合と無限集合との決定的な違いであります。

有限集合には大きさが定義できます。

大きさがあるとは、元(要素)の個数が数えられるということです。

それも、数え方によらず、一意に定まるという点も重要です。

{りんご、みかん、ぶどう}の集合の個数を数えるときに、

りんご、みかん、ぶどうの順で数えても、

みかん、ぶどう、りんごの順で数えても、3個になります。

当たり前のことですが、数え方が何通りも考えられる場合は、この検証も必要です。

数える順番に関係なく一つに定まる値があるのでそれを大きさとして定義できるのです。

 

定義できるので大きさを表す記号があります。

有限集合の大きさを表す記号としては、

絶対値の縦線か、シャープ記号がよく使われます。

|{りんご、みかん、ぶどう}|=3

#{りんご、みかん、ぶどう}=3

といった書き方で集合の個数を表します。

 

無限集合に対しては大きさがない(定義できない)のでこのような記法は使えません。

|自然数全体|=∞

のように∞をつかって大きさを便宜的に表すこともあります。

これは個数を表しているというより、||の中の集合が無限集合であることを示しているだけです。

 

 

 

 

 

無限集合の難点

無限集合がなぜ難しいのかというと、有限集合のようにリスト表記できないからです。

しかたないので、その元(要素)の性質でその集合を定義します。

性質は、リスト表記できるからです。

 

有限集合はリストでしたので、

いろいろな操作が可能ですが、

それと同じことを無限集合でできるのかというと、

実はそう簡単ではありません。

 

無限集合も、いくつか代表例をピックアップして、

{りんご、みかん、ぶどう、なし、・・・}

のようにして、列挙表記することは可能です。

 

しかし、メロンがこの集合に入っているのかどうかはわかりません。

列挙されていない、省略されている部分、

{りんご、みかん、ぶどう、なし、・・・}

の・・・の部分になにが入っているのか、曖昧だからです。

 

また、・・・の中に無限の項目が省略されているのかどうかも実はわかりません。

・・・は有限集合の場合の省略にも使われることがあるからです。

{りんご、みかん、ぶどう、なし、・・・}

が無限集合なのか有限集合なのかは、この表記だけからは判断つかないということです。

 

この省略して書く方法は、めちゃくちゃ便利なのですが、

集合を定義するには不都合が多い記法となります。

 

無限集合の元(要素)はすべて列挙できないので、

その性質を列挙して書き表すとは先程示した通りです。

 

すべてが列挙できないため、和集合、共通部分の求め方も変わってきます。

それをどうするのかという新しい問題がでてきます。

 

集合論では次のようにごまかしとも言える方法で、すり抜けることが多いです。

つまり、論理学ででてくる「または」とか「かつ」といった演算を使って、

和集合、共通部分を定義してしまうのです。

 

ある元(要素)が集合に入っているのか入っていないのかは、その集合の性質をみれば判定できる。

であるのなら、その性質を「または」で結ぶことで、新しい性質を定義できるから、

その新しい性質をつかって新しい集合が定義できる、それを和集合と定義する。

こんな感じです。

 

例で書くと

{x|xは15で割り切れる自然数}

{x|xは10で割り切れる自然数}

といった割り切れるといった性質をつかって2つの集合を作ります。

これから、

{x|xは15または10で割り切れる自然数}

 

{x|xは15でも10でも割り切れる自然数}

 

といった新しい集合が定義できるので、それぞれを

和集合、共通部分と定義してしまおう。

ということです。

 

 

これは、有限集合に対しても同じように考えることができるので、

ある意味、有限集合の考え方を膨らませたといえます。

 

しかし、集合の元(要素)を表す性質に対して、

いつも「または」「かつ」といった演算ができるのか?という疑問があります。

 

そして、たとえば、

{x|xは2を素因数として持つ}

といった集合に、

すべての素数をかけ合わせた数が含まれているのかどうかを判定するには、

その全体を考えなおす余地があると思います。

 

 

そうです、論理演算(「または」「かつ」)を考えるにしても、それらが定義された全体があることが前提にあって可能となる話なのです。

{x|xは赤い木の実}と{x|xは青い木の実}からは、

{x|xは木の実}といった全体集合の中では意味がありますが、

{x|xは植物}とか

{x|xは丸いモノ}とか

{x|xは硬いモノ}など

といった全体で考えているとすると、また意味が変わってきます。

{x|xは赤い木の実}と{x|xは丸いモノ}の和集合を求めよといわれたら混乱しますよね。

「全体はなんだ!」と。

 

 

全体があるかどうかは非常に重要なことなのです。

{x|xは2を素因数として持つ}

これは、普通に考えると自然数を全体として考えているのが前提でしょうが、

ひょっとしたら、特別な全体集合

例えば

{2, 2*3, 2*3*5, …}は、無限積も含めた積を考えているのかもしれません。

…でごまかしましたが、この部分にどんな数が隠れているのかは

どうとでも詭弁によって変更可能です。

 

「すべての素数をかけたら奇数・偶数どっち?」のクイズの解答が

「偶数」でよいのか激論も生じました。

自然数の全体を超えた範囲で考えたからですね。

 

元(要素)の性質は自然言語で書かれる場合もあります。

ここの例のように、割り切れるなどといった数学的な性質であれば、数学的に考えることで

「または」とか「かつ」といった論理演算に意味づけすることができますが、

これも、全体があっての話です。

 

つまりは、私達は、論理を部分的にしか考察することができないのです。

 

なにか概念を膨らませたいときには、それを含んださらに大きな概念を持ち込んで、

その中で部分的に考え論理的なのか検証しながら、

膨らませられるか、矛盾をきたす事なのかを判断して推論しているのです。

 

 

集合論を考えるには数の集合を考える

数学的な研究の対象も、掘り下げていけば、基本は集合と写像を論理的に扱っている事になります。

その集合について掘り下げて考えると、自然数の集合にたどり着きます。

たどり着くというより、帰着できると言ったほうがよいかもしれません。

 

{りんご、みかん、ぶどう}といった集合も、

りんごを1,みかんを2,ぶどうを3と付番することで、

{1,2,3}の集合と同じとみなせます。

そして、

#{りんご、みかん、ぶどう}=#{1, 2, 3}

で集合の個数の性質は維持されます。

これは、#{りんご、みかん、ぶどう}が

自然数の集合に埋め込まれたと考えることができたということです。

 

無限個をひとかたまりにして、有限の表現にしてしまう方法を使えば、

無限個の要素も有限個の文字であらわせます。

 

自然数は、「自」「然」「数」という3文字で無限個の元をひっくるめて表していますが、

この3文字が示す性質はよく知れ渡っています。

まんがいち、フルーツの全体が無限集合だとしても、

なんらかのフルーツから自然数への対応規則がみつかれば、

それは自然数の集合の問題に帰着されます。

 自然数とのマッピングの問題は簡単ではありませんが、

自然数へのマッピングができれば、

自然数の集合の問題として帰着できるわけです。

 

これから、有限集合は、マッピングによって、自然数の中に埋め込めます。

 

このように、ありとあらゆる集合として取り扱いたいモノは、

自然数、それで用が足りなければ、ベクトルや、実数などの数に対応させることで、

数の集合としての問題に帰着されます。

 

集合の元(要素)を性質で定義する方法は、便利な反面、

汎用的すぎて、使えません。

場合によっては、パラドックスをも生み出します。

 

新しい概念から生まれる性質でも名前をつければその名前で集合が定義されます。

それを調べるために、数への対応を考えればよいと考えます。

 

実際、本質的に集合を研究しないのであれば、これだけで用は足ります。

 

無限の魔物には手をださないことです。

それに対応して、無限集合には手をださないことです。

唯一無限にふれることが許されるのを自然数だけにすることです。