前回は、(0,1)の内側からみた1についてであったが、こんどは0の方へ視点を向ける。

1の方が無限大であるならば、0は無限小である。

無限小も無限大と同じような性質がある。例えば、半分にする操作は永遠い終わらない、0に限りなく近づくが0になることがない。

これが無限小地獄である。階段を半分づつ降りていくとしたら、この階段は永久に地面にたどり着かない。

半分にする操作は永久に終わらないのであるが、なれの果にこの操作が終わったとして、0にたどり着けたと考えることは妥当だろうか。気持ち的には、無限の操作を行ったなれのはてに0になったと考えたくなるが、単純になれの果を考えることができないのである。

無限い終わらない操作があったとしても、それを無限回でやりきったとみなすことはできないのだ。

しつこくいうようであるが、無限回というのはありえない。無限大は状態であって数でないから。

同様に無限小の粒子もありえない。無限に半分い分割し続けることは可能だが、その操作が無限回でやるきったとみなすには無理がある。物質は半分に分け続けていくうちに、しだいに原子に分解され、分割できない単位が現れるが、数はいつまでたっても無限小の原子にたどり着くことがなく、限りなく永久に分け続ることができる。

ただ、無限小に関しては無限大とちょっと違う部分がある。数の体系に(0,1)の世界の1に相当する数はないものの、0に相当する数は存在している(考えることができる)ということである。無限大はどこを目標にしているのかわからないままがむしゃらに突進(発散)しているような操作を伴ってみえるが、無限小は0という加法の単位元としても存在を許されている数に向かっている。

つまり、(0,1)を宇宙としたら、その宇宙の中に存在する数は宇宙の果を目指して飛行を続けることが1に向かって飛行していることと同じであるが、いろいろな向きに1が見えているのであって、どの1に向かっても終わることがない。それに反して0に向かうということは宇宙の中心に向かうことである。実際には中心がどこかはわからないかもしれないが、宇宙の内側にある点であるから、どこかかしらに0と呼ぶにふさわしい宇宙の中心点があってそこに向かえば永遠いたどり着くことはないにせよ、確実に近づいていけるのである。