カントールの対角線論法

同じ無限でも、「実数が自然数よりも多く存在する」ことを実にわかりやすく説明する対角線論法ですが、その論法に疑問を持つ人もたくさんいます。

そのことを数当てゲームにたとえて説明していきます。

ある数を当てたら勝ち、当てられなかったら負けのゲーム

2人でやる次のルールのゲームを考えます。

先行(Aさんとします)はある自然数を考えます。

後行(Bさんとします)はAさんが考えているであろう自然数を予想します。

二人が同じ数を考えていれば、Bさんの勝ちです。違っていればAさんの勝ちです。

(同じ数かどうかの)判定はAさんが行います。

つまり、まずBさんが考えた数をAさんに伝え、Aさんが同じ数だったかどうかを判定し、同じだったらBさんの勝ちというわけです。

 

この勝負どう考えてもBさんは不利です。相思相愛の仲でもない限り、BさんはAさんと同じ数を言い当てることは確率的にもかなり低いといってよいでしょう。さらに判定をAさんが行うというのが最大の不利なポイントです。

そこで、このゲームにはBさんにハンディを与えます。予想が外れたら、再度予想をやり直しても良いことにします。なんどでもAさんの考えている数を当てるチャンスが与えられているというわけです。もちろん、Aさんは、最初に考えた数を勝負が終わるまで変えることはゆるされません。

これで、かなりBさんは有利になったはずです。なんどでも挑戦できるわけですから。いつか言い当てることができるはずです。

有限の世界で考える

さて、この数当てゲームをまず有限の世界で考えてみます。有限の世界で考えるとは、Aさんの考えた数は例えば100以下の自然数と限定するということです。この場合、Bさんは圧倒的に有利です。なんどでも挑戦できるので、戦略を練れば最大でも100回挑戦することで勝つ可能性を100%にすることができます。

原理としては1億以下の自然数に限定してもBさんは有利です。つまり、有限の範囲で考えてる場合はBさんが有利です。

 

無限の世界で考える

無限の世界で考えたどうでしょうか。無限の世界で考えるとは、Aさんの考えた数はいくらでも大きくてよいということです。この場合、Bさんの根気の問題になるともいえますが、実は卑怯な手段を使うことでこの勝負はAさん有利にできます。

どういうことかと言いますと、AさんはBさんがどんな数を言おうと、すべて「異なっている」と言い続けることができるからです。これが無限の底知れぬ恐ろしいところです。

Bさんが根気負けし、ギブアップしたところでAさんになにを考えていたのか聞いても無駄です。AさんはBさんの言った数よりさらに大きな数を言えばよいのです。

 

対角線論法は卑怯

対角線論法はこの卑怯な手段を許してしまいます。

Bさんい相当する人は一生懸命実数を並べて公開します。1番目の実数を1行目に、2番目の実数を2行目に、この操作は実数が無限にあるので永遠に続きます。

Aさんに相当する人は、こういいます。どんなに並べても絶対に出てこない数があると言えるのです。

とりあえず、Bさんが1000個の実数を書いたとしましょうとこおがAさんは余裕でいいます。そこにない実数がまだあると。Bさんが何個実数を書き並べてもむだです。書き並んだ実数の対角線上の数からそれまで書かれてない実数をいとも簡単につくりだせるからです。

どんなに頑張ってBさんが実数を並べて列挙しても、それが有限である限りそこにない実数を作り出せます。列挙された実数をみてから、そこにない実数を言うので卑怯といわれます。

現在では、この卑怯な論理が幅を利かせています。無限を相手にする以上は卑怯な論理であっても飲まざるを得ないです。

 

反撃の一手

卑怯ん手に甘んじるしかないのでしょうか。もし許されるのなら、Bさんには次の一手があります。

「ここに書ききれないが、実数を列挙できる方法があった。無限にあるので書いて示すことはできないが、本当に全ての実数が列挙されているか確認するので、列挙されてないと思われる実数をあげてください。何度でも受け付けます。」

ここでAさんが、どんなに多くの実施をあげたとしても、Bさんはいうでしょう、それはxx番目にあります。Aさんが根気負けするまで、これを繰り返すことができます。

なんと卑怯な。

 

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