数えるとは

数えるとは、自然数と対応つけることです。

5匹のチンパンジーにそれぞれバナナを配るには、それぞれのチンパンジーに対しバナナを直接手渡しすれば配り終えます。チンバンジーとバナナが直接結びついていることで1匹に1本とわかりますが、チンパンジーと自然数(の部分集合){1,2,3,4,5}と対応つけていれば、5本のバナナもまた自然数{1,2,3,4,5}と対応しますから、自然数を介して5匹のチンパンジーと5本のバナナが1対1に対応つくことがわかります。

会議の参加者に資料を1部ずつ配るとき、参加者がだれであるか関係なく、その参加人数がわかれば、何部の資料を用意すればわかります。

数えるとは、自然数との対応であるわけです。

 

自然数と対応つける

チンパンジーの例と、会議参加者の例から、数えることは、自然数と対応つけていることとわかります。これを有限の時だけでなく無限にある自然数に対しても適用することを考えます。

具体的には、自然数(全体の集合)となんらかの集合が1対1に対応するなら、それは自然数と同じ数だけあるとみなせるわけです。

例えば、正の奇数全体、有理数全体など、自然数と1対1に対応つけられることがわかりますから、自然数と同じだけあるとみなせるわけです。

奇異なこともあります。例えば、正の奇数全体は自然数の真の部分集合です。なのに、部分集合が全体集合と同じだけある、これは有限の場合には考えられないことです。無限がからむとこういった不思議な現象が表れます。

ですが、このなにかと1対1に対応させる考え方は、数えるという概念を広げます。これは画期的な方法です。数え切れないものを比較できるわけですから。

 

自然数より多い無限

よく知られているように、実数は自然数よりさらにたくさんあると言えます。

これは、自然数と実数との間に1対1の対応つけができないことからそう言われます。

 

数えられない物同士であっても、多い、少ないがあることがわかったのです。これによって、無数にあるものは、単に数えられないと一色たんに扱うのではなく、どれくら無数にあるのか比較することが可能になりました。

無数にあるものは、個数といわず濃度という単位で表しています。

「1対1の対応があるか、ないか」で、両者の濃度が同じかどうかを判定する方法が有効になったのです。

 

濃度

この濃度は、ヘブライ文字の最初の記号 א(アレフ)で表すのが慣例です。

自然数(全体)は、無数の中でも最小の濃度をもつ集合で、ℵ0(アレフ0)と書かれます。自然数より多い実数の濃度は、ℵ1 (アレフ1)です。

この濃度についての説明は有名ですから、調べればいくらでもわかるはずです。

例えば、下記から妥当な説明が得られます。

 

数えるという観点から考えた無数の要素をむつ集合同士の比較について書きました。比較によって得られる大きさは無限集合に対しては、濃度という概念で表します。

濃度については、「無限」とは違って、特に違和感もなく、「なるほど!」と受け入れやすいものです。そして、自然数、実数、冪集合の例によってあいまいさを残さずだれも同じように認識すると思います。

しかし、この濃度に対しても無限がからんでいるためか、実は奥が深い概念です。無数にあるものを数えるということは、そんなに簡単なことではないのです。

ゆくゆくは、集合論の世界に入り込むことになるのですが、境地にはなかなか踏み込めないです。

最近では、\( 2^{\aleph_0}=\aleph_1\)でなく \( 2^{\aleph_0}=2^{\aleph_1}=\aleph_2\) などという式もあるようです。有限集合論であれば、単純ですが、無限を相手にした集合論は化物です。なにがでてくるかわかりません。

濃度と無限大とは少し違うのですが、無限大と似たような性質もあるので、次回は、それについて書いてみたいと思います。

 

まとめ

  • 数えられないもの同士を比較するには、それらの間に1対1の対応があるかどうかを調べる。
    対応があれば同じ濃度、なければ違う濃度と考えることができる。
  • 無数の数は濃度という単位で表記される(有限の数は個数という単位が使える)。
  • 自然数は、最小の濃度をもつ集合である。それは可算濃度と呼ばれる。

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