偶数と奇数はどちらも、個数を数えることはできませんが、
多い、少ないで考えるとどうなるでしょうか?

模範的な解答が何個かあると思いますが、無限にたくさんあるものでも比較できるとなにかと便利でしょう。

  1. 偶数も奇数もどちらも無数にあるので、どちらも無限と考える。無限同士は同じ個数と考えられる。
  2. 濃度という考え方でいうと、偶数も奇数も同じ濃度と言える。つまり広い意味で同じ個数と考えられる。
  3. そもそも偶数も奇数も数えることができないので、どちらが多いとか少ないとか決めることはできない。
  4. 自然数(正の数)では偶数と奇数が交互にでてくる。負の数に対しても交互に並んでいる。整数から正の数と負の数を取り除いたら、0が残る。0は偶数であるから、偶数の方が1個多いと考えられる。

いろんな考え方があると思いますが、無限同士の比較を考えているところは共通です。

これが、「(100の約数の個数)と(奇数)はどちらが多いか」という質問であれば、大方奇数の方が多いと考えるでしょう。

有限は常に無限より小さいと考えているからです。

もちろん、有限同士も大小の比較は可能ですが、無限同士の比較をどう考えたらよいのかは、人によって、それぞれ違いがでてきます。

 

数えるとはどういうことか

数えるとは、一歩深く突っ込んで言うと、自然数と対応つけると言うことです。

例えば、シュークリームを数えたら13個だった。というのは、複数のシュークリームたちを13という自然数に対応つけましたと言うことと同じことになります。

これは、シュークリームを右から数えても、左から数えても、Aさんが数えても、Bさんが数えても、昨日数えても、今日数えても13個です。

自然数と対応つけることでいろいろ便利になります。

1袋13個入りのシュークリームがあったとします。

これは、袋の開けてシュークリームを取り出すと13個入っているわけで、この袋が10袋あれば、掛け算によって、130個のシュークリームがあることがわかります。

袋を開けなくても、個数がわかるから便利ですね。

数えることと、自然数は密接に関係しています。

蛇足になりますが、自然数を発展させて整数をつかって個数を表すとさらに便利です。

個数はある性質ともいえます。実際に数えることができない、0個とか、−5個などという言い方は、ある状態を表している性質だとすれば、そこに意味を持たせることができます。

 

 

「多い」「少ない」は、自然数の大きさの比較

個数が多い、少ないというのは、それぞれの個数が対応している自然数の大きさで決まってきます。

しかし、よのなか、すべてのものが数えきれるかというと、そうではありません。

人の数、砂の数、星の数などは、正確に数えることができないにしても、有限ですから数えられるものとして扱われますが、偶数の個数、奇数の個数に関しては数えられないものとなります。

偶数、奇数にかかわらず、世の中には個数が数えきれないものが山ほどあります。

これらの個数は、有限の個数ではなく、無限の個数と呼ばれます。

数えても数えても、キリがないもの、数えきれないもの、それらは自然数に対応つけることができず、そのような性質は、無限の個数を持っていると言います。

 

さて、ここで問題が発生します。

無限の個数は有限の個数とちがって、自然数ではありませんから、大きさがありません。

無限の個数の意味からわかるのは、「いかなる有限の個数よりも多い」ということだけです。

無限の個数とは、単に数えきれないと言う意味しか持っていませんから、比較できるのは、有限の自然数とだけです。

 

したがって、偶数は100個以上ある、奇数は1000個以上あると言うことはすぐにわかりますが、偶数は奇数より多いとか少ない、もしくは同じだけあると言い切ることはできないのです。

 

偶数と奇数は共に無限の個数であるが、同じぐらいの多さと考える

さて、直感的に偶数と奇数は同じくらいの多さと考える人も多いと思います。

なぜ、そのような感覚が生じるのでしょうか?

もう一歩すすめて、10で割り切れる数と10で割り切れない数とでは、10で割り切れる数の方が割り切れない数よりも少ない。このような感覚は自然と言えるのではないでしょうか?

 

10で割り切れる数は、無限の個数だけあります。

一方、10で割り切れない数も、無限の個数だけあります。

どちらも、無限の個数です。

ある数があったとします。その数が10で割り切れるか、割り切れないか賭けをするとしたら、どちらに賭けますか?

割り切れない方にかけるのではありませんか?

 

これは、10で割り切れる数は、全体の10分の1ぐらいであろうという感覚が呼び起こすものです。

 

十分に大きい数と無限大と見なしている

あたりまえですが、どんなに大きな数であっても、それは無限大とは異なります。

しかし、実際には十分に大きい有限の数を無限大として考えていることが多いのです。

有限の数は具体的ですから、考えやすいのですが、どんなに大きな数でも無限大ではないことに注目すべきです。

偶数や奇数が同じくらいの多さだというのは、ある大きな数、例えば1万を十分大きな数として考え、1万までの自然数で偶数と奇数を数えてみると、同じだけあることがわかります。

1万を10万、1億、100億としても同じです。

いくら大きな数をもってきても、奇数と偶数が交互にでてくるわけですから、同じ比率を保っています。

そこで、思考が飛躍し、無限大でも奇数と偶数は同じだけあると考えてしまいます。

実際は、奇数も偶数も無限大で数え切れませんから、多さを比較することはできないのですが。

 

そうはいっても、この考え方は非常に有用です。

この考え方でいくと、10で割り切れる自然数は自然数の10分の1ぐらいであろうと考えつきます。

 

十分大きな数を無限大として考える。

これが無限大を考える最初の一歩なのです。

 

この考え方の基では、偶数と奇数は同じ多さと言えます。

そして、この場合、1個多いとか2個すくないなどといった、有限個の差分は意味を持ちません。

それは、大きな数のとり方によって生じる有限個の差を無視して考えているからです。

 

補足

この考え方をさらに発展させると濃度という考え方が見つかります。

しかし、濃度の考え方は実に抽象の世界で、実は無限がわかったような気になる一方、それ以上に無限に関して、わからないことが増えてしまうという、恐るべき結末が待っています。

素朴な解決策が、無限の有り地獄への入り口になっているのです。

 

 

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