「微分」はなんとなくわかるけど、
「微分する」となるとなんだか
ちんぷんかんぷん。
微分って木っ端微塵にしたチリのようだと思うよ、
だったら、「微分する」っていうのは、細かく切り刻むことじゃん!
\(x^2\)を微分したら\( 2x \)になるというのは、
公式で覚えているけど、
なんで細かく切り刻んだら\( 2x \)になるのか意味わかんない!
微分って微小量のことじゃないの?
それが動詞になるのだから、
微小にすることが「微分する」という意味のはずじゃん!
そうじゃないの?
こんな疑問をお持ちの方いませんか?
「微分する」とは「導関数を求める」という意味
数学で、
「微分する」というのは細かく分割することを意味していません。
数学で「微分する」というのは、「導関数を求める」という意味です。
微分と導関数、全然むすびつなかいのですが、
どういうわけか、そうなのです。
「微分する」について調べるために「微分」の意味を調べていては肩透かしにあいます。
「微分する」の意味を調べるためには「導関数」について調べるべきなのです。
じゃ、「微分する」と紛らわしい言い方をせずに、
普通に「導関数を求める」と言い換えればいいのかというと、
それはそうです。
そういう風に言うこともよくあります。
しかし、「導関数を求める」という言い方より
圧倒的に「微分する」という言い方が多いのです(その理由は後で書きます)。
「\(x^2\)の導関数を求めたら\( 2x \)となった」
と言っても全然違和感はありません。
もはや、「導関数」と「微分」は同義です。
しかし、「導関数」よりも「微分」という言い方がよくされます。
そして、
「\(x^2\)の導関数は\( 2x \)である」
という代わりに
「\(x^2\)の微分は\( 2x \)である」
などと言った微分入門者にとってはわかりにくい言い回しが
日常茶飯事にされているのです。
もしかしたら、
「\(x^2\)の微分は\( 2x \)である」
は
「\(x^2\)を微分すると\( 2x \)である」
を短縮して言っているつもりかもしれませんが、
おそらく短縮しているという感覚なしに言い回わしている人も多数いることでしょう。
慣れてない人は混乱すると思いますが、
慣れると、これが混乱しないのです。
前者の人が、「後者の人の話はちんぷんかんぷん」
と思うのは当然です。
dxとdy/dxどっちも微分と言ってる!
記号で書いても混乱された使い方がわかります。
わずかな量のことを微分と言っています。
これは、切り刻んだかけらの量の事で単語の意味としては自然です。
これらは数学の記号で、dxとかdyとよく書かれます。
このdxのことをxの微分といいます。
ま、これが本来の言い方なのでまっとうな言い方です。
dxのことを導関数ということはありません。
ところで、xの関数yの導関数を記号でかくと、
\(\displaystyle \frac{dy}{dx} \)
です。
\(\displaystyle \frac{dy}{dx} \)
と\( dx \)
は見た目でも、全然違うものですよね。
最初の説明で考えると、このあきらかに違った記号
\( \displaystyle \frac{dy}{dx} \)と\( dx \)を
どちらも同じ「微分」と呼んでいるわけですから、
これは混乱して当然です。言葉に慣れてないうちは。
しかしなんと、言葉になれると、混乱しません。
文脈でどっちの意味なのかわかります。
厳密性より感覚を重視して丁寧に例をだすと、
xの微分は\( dx \)、
yの微分は\( dy \)、
yをxで微分すると\(\displaystyle \frac{dy}{dx} \)
このような使い方がされています。
「微分」と「微分する」の関係が伝わったでしょうか。
ややこしいと思われる例は、
(yの)xでの微分は\(\displaystyle \frac{dy}{dx} \)
という言い方です。
ひどい時には、
yの微分は\(\displaystyle \frac{dy}{dx} \)
という言い方、
これはつまり、
「sinの微分はcos」
「cosの微分は-sin」
といった言い方の事を指していますが
どこかで聞いたことないですか?
もちろんこれらは、
「sinを微分したらcos」
「cosを微分したら-sin」の意味なのでしょう。
べつに通じなくはないです。
文脈から、微分が、微小量の事か、導関数の事を指しているのかは察しが付くので
通じるといえば通じますが、誤解を招く言い方です。
「微分する」とは微分演算をすると言う意味
どうして、「導関数を求める」ことを「微分する」と言い換えているのかというと、
実は導関数を求める操作をある演算と見立てて考えているからです。
ここでいう演算とはブラックボックスのことです。
ブラックボックスとは、なにか入力されるとなにかを出力する箱です。
プログラミングでは関数の説明としてよく使われるブラックボックスと同じです。
入力するものが一つしかないので、演算というにはニュアンスが異なるのですが、
(引数が一つの)単項演算子です。
微分というブラックボックスを考えることができます。
このブラックボックスは、関数を入力とし、その導関数を出力します。
ブラックボックスの内部処理としては、入力された関数からその導関数を求める処理が動いているのですが、
箱の外からはその動きは見えません。
内部が、見えないからブラックボックスと呼ばれるのです。
微分の学習を続けていくと、極限だかdxだかを駆使し導関数を求めていく過程を知らなくても、出力される結果によって応用が効くことが増えてきます。
ある関数を微分というブラックボックスに投入することが、「微分する」という考えです。
実は、微分の定義をしっかりしようとすると、これは甚だ面倒なことが多いのです。
この面倒をブラックボックスに閉じ込めて考えることで、
微分の便利な面をたくさん得ることができるようになります。
本質は同じことではあるのですが、
「導関数を求める」というと、
これは導関数の定義にしたがって関数の極限を求めることが軸としてあります。
一方、なにかある関数を「微分というブラックボックス」にいれてその結果を得るという操作を軸に考えていると、「微分する」という言い回しとなるのです。
「微分する」という言い回しは、ある関数を、別の関数に変換するという思考操作のもとで使われます。
極限や導関数といった無限がからんでくるややこしい概念を、
微分というブラックボックスの中に閉じ込めて考えることで
いろいろな応用問題をとくことができます。
そのような応用問題をといているときには、
「微分する」という言い方が多発されるわけです。
「微分する」の意味は、「導関数を求める」ということであるのですが、
思考の中ではある程度の使い分けがされているのです。
「微分する」の意味を調べるためには、
「導関数を求める」というころがどういうことなのかを調べることになるので、
結局のところ、導関数について知っていないと、
「微分する」ということの意味がわかったことにはなりません。
導関数がどういった関数なのかを簡単にいうと、
よく説明されるのが、「傾きを求める関数」です。
なんの傾きかというと、
関数をグラフで書くと一般には曲線になりますが、その曲線に接する接線の傾きということになります。
これについては、詳しく説明があるサイトがたくさんあるので、
調べるとたくさんの情報が得られるはずですから、ここでは割愛します。