宇宙と小宇宙

数直線を実数全体とみなすことから、私は、数直線を1次元の宇宙と読んでいます。

その部分集合である、開区間(-1,1)も数直線と同相(1対1の関係がある)とみなせるため、これも(1次元の)宇宙です。ただ、数直線と区別するために、小宇宙と呼んでいます。

わざわざ区間を狭めているのは、高次の宇宙(-∞,∞)から小宇宙(-1,1)を見ることによって、小宇宙の外側の元である-1や1の位置関係を明確にするためです。

-∞に対応するのは、-1であり、∞に対応するのは、1です。-1と1が小宇宙の内側からかろうじて目標としてみえる外側の宇宙への接点であり、その先の小宇宙にはない2や3、さらにはその果てにある∞については小宇宙(-1,1)からは到達不可能な存在です。1と2を比べると2の方が1より大きいのですが、小宇宙からみればどちらも果てしなく遠い存在で、同じしか認識されないのです。

私達が住んでいるのは、(-1,1)の世界です。この開区間のある1点が私です。私はこの開区間である小宇宙の中を移動することができます。

高次の宇宙

この小宇宙の外にさらに高次の宇宙がある事を考えることはできますが、小宇宙の存在である私は(-1,1)の世界から抜け出すことはできません。小宇宙の境界(果て)にあるのは、-1や1ですが、どんなに頑張ってもその境界点の-1や1にすら到達することはできないのです。-1や1は目標として見えるかすかな存在です。

小宇宙での活動と可能無限

小宇宙のなかでの点の移動を考えます。点が1に向かって移動することを考えることは自由です。移動にかんしては小宇宙の内部では自由です。1に向かって移動することも自由です。現在の地点と1の地点との中間地点への移動を一つのステップとみたてます。1ステップ移動後地点から1の地点との中間地点が存在するので、さらに1ステップの移動が可能です。この移動の後であっても、さらに次のステップがかのうであって、このステップは永遠に続きます。これがアキレス無限です。永遠に終わらないステップ、これが可能無限といわれるものです。

高知の宇宙に存在する実無限

小宇宙からみれば1は小宇宙に含まれない点になりますが、高次の宇宙の中には1が存在しています。高次の宇宙でみる1が小宇宙からみた実無限といえるでしょう。

高次の宇宙からみてわかるように、実無限となりうる数は1以外にも多数あります。例えば、高次の宇宙の中にある2や3も小宇宙からみれば実無限の一つになりえます。したがって実無限の存在は多数です。多数と書きましたのは数え切れないぐらい多くあるということです。すぐにわかりますが、1より大きい実数は整数だけではありません。1とり大きい実数は全て小宇宙からみれば実無限の存在です。小宇宙からみた実無限という一つの概念が、実は高次の宇宙からみれば区別される実無限でありうるわけです。

可能無限と実無限

可能無限は、限りなく続くこと、永遠の操作(ステップ)が表す無限のことです。

実無限は到達しえない超越した先の存在です。

可能無限のあるとこりに実無限があります。実無限があれば、そこから可能無限を作ることができます。

可能無限は単に数の大きさを表しているのではありません。限りなく続く、終わりのない永遠の操作(ステップ)のことです。

したがって、ある大きさを表す数を半分、さらにその半分、さらにさらにその半分と半分にするステップも限りなく続く操作(ステップ)であるわけですから、可能無限の存在がそこにはあります。

半分にすることで量自体は小さくなりますが、この操作(ステップ)は終わりが無いから可能無限と呼ばれるのです。つまり量の大きさと可能無限は別々の概念です。

半分にする操作(ステップ)を可能無限を飛び越えた状態を考えることはできます。その状態、いわゆる無限小と呼ばれる状態です、は0になっている状態でしょうか?

数の世界からみれば、それは0にすることはできません。仮にそれを0の状態にするほどの大きさである実無限の存在があったとすると、その存在を含めた数の体系は崩壊しているからです。数の秩序を維持するのなら、たとえ実無限の操作(ステップ)を実行した後の状態があったとしても、それはその実無限に対応した限りなく小さい実無限(無限小)の数としない限り、0=1だとか、おかしな数体系のカオスに引き込まれてしまいます。

なぜ開区間を宇宙と呼ぶのか

それは、私たちが住んでいる宇宙、3次元空間が開集合に見えるからです。

宇宙に果てがあるのかどうか、物理学的な問題ですが、宇宙は半径が有限な球と考えられています(イメージされています)。

宇宙は有限の空間なのです。

私たちは空想で宇宙の果てに行くことを考えますが、果てに向かって進んでも進んでも果てにたどり着くことはできません。

これは、1に向かって進む点がいつまでたっても1にたどり着けない状況に非常に似ています。

開区間(-1,1)を1次元の球と考えます、宇宙を3次元空間の球として考えると、私たちの住んでいる地球を含んだ大宇宙は球として同じ性質があります。

開集合の宇宙には、その果て(壁)は存在できません。しかし、だからといって、宇宙の果ての先になにもないと考える必要はありません。単に宇宙から抜け出せないだけであって、宇宙の果てのさらにその先になにかがあったとしてもなにも問題はないのです。