パラドックスの例としてよくでてくる、アキレスと亀の寓話。私が、無限について最初に考えるきっかけとなった話だ。無限の話をするときには、かかせない。

 

それは有名なゼノンのパラドックス

ゼノンのパラドックスとして紹介されるが、よくよく考えると、パラドックスのからくりがわかったようなわからないような。これがパラドックスにみえるのは、無限が絡んでいるからであって、これが無限の感覚的認識の恐ろしさである。

亀に追いつけるはずが追いつけない、これがパラドックスと言われる所以でわかった気になった人でも、進んだ距離を、下記に示した級数におきかえて考えてもらいたい。
アキレスと亀の主張は、$$\frac{1}{2}+\frac{1}{2^2}+\frac{1}{2^3}+…$$が決して1にならないという主張だ。しかしながら、高校数学を学んだ者は、この級数は1に収束すると考えているであろう。つまりこの級数は1になるのが当然なのだ。ということは、アキレスが亀に追いつくのは当然のことなのだ。しかし、この寓話の話を聞いているときには、アキレスは亀に追いつかないのは当たり前と平然と主張するからパラドックスとしての面白さがあるのである。

この寓話のどこが好きなのかというと、追いつく追いつかない、1に収束する、収束しないどちらが正しいのかという議論だけでなく、無限が絡むと、与えられた状況により異なった解釈を平然と受け入れてしまうところである。無限を扱う時には注意深くしなければ平然と真逆の結論が生まれかねないということである。

結論としては、追いつくこともあれば、追いつかないこともある。それは、問題の受け取り方による。今のところ、こういったところだろうか。やはり、釈然としない。繰り返して言うが、釈然としないのは、無限が絡んでいるからだ。

 

その原理の簡単な説明:アキレスと亀をわかりやすく説明

 

 

アルキメデスと亀

数学ではアキレスという用語が使われるのは、このアキレスと亀のパラドックスぐらいだろう。

アキレスも有名らしいが、それよりもアルキメデスが有名すぎて、アキレスアルキメデスを混乱することがあった。

アルキメデスも無限に絡む話でよくでてくるのだ。

アキレスと亀を間違えてアルキメデスと亀と言ってしまっうことがあっても、暖かく迎えよう。

 

ちなみに、数学には、アルキメデスの公理と名前のついた公理がある。

これは、無限について言及するときには避けて通れない公理だ。

これがアキレスの勘違いを誘発しているのかもしれない。