0に収束する数列に対角線論法を使う
わかりやすく2進数で書いた下記の数列{an}を考えます。
111…の部分は、1が永遠に続くことを意味した記号です。
a1=0.111…
a2=0.0111…
a3=0.00111…
a4=0.000111…
a5=0.0000111…
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この{an}は、ご存知の通り、0に収束する数列です。
図でイメージするのなら、1から0に向かって半分のところをプロットした数列(点列)を表します。
対角線論法によりこの0に収束する数列は0にならない
対角線論法の考えで、この実数の数列を縦にならべて、対角線上の数からあたらしい数を作ります。この例では、赤い部分で数をつくることになります。そして、0の場合は1に、1の場合は0に数を反転します。
a1=0.111…
a2=0.0111…
a3=0.00111…
a4=0.000111…
a5=0.0000111…
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対角線から、0.11111… といった実数ができますが
各桁の0の場合は1に、1の場合は0に数を反転します。
すると、0.00000…とこの場合すべての桁が0の実数が得られます。
対角線論法を使うことによって、実数0(正確には0.000000…と0が永遠と続く無限小数)は数列{an}に含まれません。
なぜなら0が含まれたとすると、対角線論法に反するからです。
対角線論法により、数列{an}は決して0を含まない数列です。
これは、この数列の項は無限の彼方であっても0にはならないということです。
無限にしたらどうなるか
上記の数列{an}は0に収束する数列としてよく知られていますが、実はそれが間違いだったということです。これが対角線論法です。
対角線論法とは実に都合が良い論法です。あたかも無限の彼方まで判定したような気持ちになります。
対角線論法では、極限の状態でも数列{an}は0になりえません。
対角線は極限の項までもしっかりと追従してきますから、nが無限大になっている項であっても、数列{an}は0になりません(到着できません)。
まとめ
「実無限を捨てるか」、「対角線論法を捨てるか」の岐路に立たされている。
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任意の正の実数εに対して、「n>Nならば|a[n]-α|<ε」なる自然数Nが存在するとき「数列{a[n]}の極限はαである」という
とか
いくらでも大きい自然数が存在するが「無限」という数は存在しない
という立場に立つのが実無限を捨てるということでしょうか。
そうです。
少なくとも私はそう捉えています。
訪問ありがとうございます。
ちょっとした疑問ですが、対角線論法により、数列{an}は0(0.000・・)を含まないことは理解できたのですが、何故0に収束しないという結論に至ったのでしょうか?
(”0にならない”と”0に収束しない”を別の意味で用いていましたら申し訳ございません)
訪問にコメントありがとうございます。
かなり苦しい論法で申し訳ございません。
ここでは、数列の最後尾の項(というものは実際にはないのですが感覚的にこう書きます)を収束値というイメージで捉えています。
こんなアバウトな説明が通じないことは百も承知ですが、実際のところ、
「収束する数列の収束値≒数列の最後尾の項の値」
と感覚的にとらえる考え方(をする人)があって、
実際この考え方は厳密に示せないながらも、
意外にも役にたつ考え方で、そこになんらかの真実が示唆されているるように思えます。
そして、そのような考え方をなんとか体系化しようと試みている人もいます。
つまり、数列の第無限項という(架空の項)を作り上げ、その項の値=収束値と考えるわけです。
ゼロに収束する数列は、その第n項のnを無限大にした第無限項が0になっている拡大数列の一つと考え、極限計算を無現項の計算に帰着させようとするのです。
いわゆる、∞+∞=∞、∞×2=∞
などいった∞に(中途半端ではありますが)数のような演算を定義し、
うまく数になじませようとする試みです。
このような試みはある程度うまくいきそうに見えますが、
厳格にしようとすればするほど破綻してきます。
ここでは、対角線論法で、第無現項を生み出そうとしても
そこがゼロになることはありえないことを示そうとしたわけですが、
あまり上手い説明とはなっておらず、
失敗に終わってるとも言えます。
第無限項を考えるというのは、同時に少数第無限の値を考えることを引き起こすわけですから、
「0に収束する数列であっても、第無限項を単純に0とみなす事はできないよ」
ということを主張したかったのです。
※今気がついたのですが、タイトルの一部に「ゼロに収束させない」とあるのは、誤解を生じさせる文言でした。
そこは、第無現項をゼロにできないというニュアンスです。